家族関係、恋愛、夫婦関係、仕事、結婚、介護、人生……サイ女読者のお悩みに“プウ美ねえさん”こと熊田プウ助が、いつもそばに置いておきたい“エプロンメモ”とともに回答します。
<今回のお悩み>
「感受性の豊かさを保ち続けている作家さんは、そういう才能の持ち主なのでしょうか」
10代の頃から本を読んだり、映画を見たりすることが大好きでした。プロを目指していたわけではないのですが、大学生~20代の頃は自分で書いたエッセイや小説、評論を自費出版で本にまとめたりしていたこともあります。
しかし30も半ばを過ぎて、子育てや仕事に追われ、本や映画から遠ざかってしまいました。それより1秒でも長く寝ていたい、と思うようになってしまって、そんな自分に悲しくなります。
頑張って本を読んでも、映画を見ても、昔のような高揚感を得られず、つまらない人間になったものだとむなしくなってしまうのです。
いくつになっても、感受性の豊かさを保ち続けている作家さんは、やはりそういう才能の持ち主なのでしょうか。私は本や映画で心がときめくという感覚を取り戻せるでしょうか。その秘訣などがあったらぜひお教えいただきたいです。
(匿名希望、38歳)
【プウ美ねえさんの回答】
なにかを好きでいる気持ちは、年齢や環境で変わります。死ぬまでメンコ・ビー玉で遊ぶ人や、一生激辛ラーメンを食べ続ける人は少数です。まして忙しければ、自分をワクワクさせようという余裕が減るのは当然のことです。かならず時間が解決することですから、悲観しすぎませんように。
職業作家には、感受性の豊かさや創作を愛する才能とはべつの原動力があります。お金をもらえる喜び、購買者への責任感、仕事仲間(アシスタント、編集者、画商、マネージャー)の存在です。じっさい仕事意欲が下がっても、挑戦の機会を与えられ、続けているうちにまたやる気がわいたりするのではないでしょうか。むしろ個人で純粋に創作を続けることのほうがよっぽど大変で、崇高なことです。
おねえさんは楽器演奏が好きでしたが、ちょうど匿名希望さんと同じ年頃に「もう全然ワクワクしない」と気づいてやめました。けれども悲しいとか、自分がつまらない人間になったとか思ったことはありません。小説も音楽も人が楽しむためにあるのですから、それが合わなくなっても人間側が落ち込む必要はないのです。ビー玉やラーメンと同じです。時間をおいてふたたび楽しんでもいいし、興味がもどらなくても誰にも迷惑はかかりません。ふだんの生活で人と話をしたり、新聞やインターネットを見たりしていれば、必ずいつかまた新しい心ときめくものに出会います。高齢になってから料理や俳句やストリップ鑑賞やDJプレイにハマる人もいます。健康でいること、ひきこもらないこと、なるべくよく寝て、頭に隙間をもたせておくことがコツです。
【今月のエプロンメモ】
子育てや仕事にお忙しいということは、その経験がない職業作家からしたらうらやましい状況かもしれません。ぜひ現状にときめいてください。おねえさんは今とくに趣味はありませんが、ほどほどに働いたりだらだら怠けたりできることに毎日ときめいています。ごはんも美味しいです。